zoomで史料読み

鳥取のIさんと武蔵のSさんと。前回の続き。吾妻の治承5年正月5日条。

内容から察するに、波多野の武勇譚を編纂の際に組み込んだって感じなんだろうか。熊野の衆徒たちと平家の郎従たちとの合戦の方がメインなのに、波多野が頑張ったように書いてある。

あと、文中の「南海」が、抽象的な南海なのか、南海道なのかと議論す。

日国をみたけど、「南海」の説明で「南方の海。古くは紀伊半島、四国沖の海をさして用いることが多い。」とあり。志摩の南は南海でいいんだろうなぁ。

ちなみに日国の説明の用例として、「吾妻鏡‐建長六年〔1254〕九月四日「各向南海列座」」とあったけど、これは間違い。鎌倉の前浜での行事についての記事なので。日国も、こういうケアレスミスがあるんだなと。