2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧

1ヶ月

今年も既に1月が終わり。早いなぁ。

宝印

ヤフオクで落とした宝印二枚が無事届く。珍重々々。 しかし、他の競合者の方々は非常に購買意欲が高いのね。昔は五千円くらいが相場だったというのに。

科研

web作成。大学の業績表示がぶっこ抜きできない・・。 とりあえずサイト案をアップ。 あといくつか月末用の出勤表を提出。今月の科研の支払いは二週間後か。

『後愚味記』応安三年三月十六日条

経顕卿任大臣事、日来所風聞也、為 主上御乳父之儀、彼労歟、依無所募如何、頗為驚耳事歟、向後勧修寺一家可成丞相之望歟、名家之輩丞相過分之至也、後醍醐院天下一統之時、故吉田内府〈定房〉、為彼院〈于時御在位〉乳父労被任了、今度又被追彼例歟、但 後…

『後愚味記』応安二年三月八日条

精進如例、伝聞、土御門万里小路棄異兒、其体雖為昨夜新誕之兒、其勢如三歳兒矣、女子也云々、又頚上又如首ナル物有之、如袋ユフユフトアル体也云々、都人士女終日成群覩之云々、又聞、件首上肉或者切取云々、 キワモノシリーズ。「ユフユフ」とは「ブユブユ…

『後愚味記』康安元年二月廿四日条

今夜大将拜賀之時、禁裏見物女性之中、有奇恠者、男作女姿見物之間、番衆補之云々、不知何者、或説竹林院前内府云々、為実者不可説事也、但如此狂説等満耳、不足信用之也、

某科研

午前中に東博へ。打ち合わせ後、秋葉原で蕎麦を手繰ろうとしたけど、志な乃は閉店(ってザコンと一緒に閉店なのかしら。謎)してたので神田明神を参詣し、茶水へ。まるで暇な藩士のような動き。それから見計らって史料へ。書類を書いて、大学へ。 大学でデー…

三種の神器

って、いつから今ほど重要視されていたんでしょう? まぁ南朝が後生大事に抱えてて、自分のトコのがホンモノだー、と紀伊半島の奧地で正統を叫ぶのは、正統性(実力も)が無いと自覚しているからで。 以前でも壇の浦で剱がなくなったって替えを用意する訳だ…

『園太暦』貞和二年八月廿七日条

首書は「依八幡神訴配流事」 (前略) 三流行程〈刑部式文〉 常陸〈去京一千五百七十五里〉 安房〈去京一千一百九十里〉 佐渡〈去京一千三百二十五里〉 土佐〈去京一千二百二十五里〉 伊豆〈去京七百七十里〉 隠岐〈去京九百一十里〉 右、六ヶ国擬遠流 伊予…

『園太暦』貞和二年十一月五日条

天晴、為勅使中御門宰相入来、謁之〈雖称犬死穢之由、称非神事入来〉(後略)

『園太暦』貞和二年九月廿五日条

一、平相国〈于時当帝外祖〉、遣月輪禅閤状〈治承三年十二月〉 二位中将殿(良通)令任権中納言并右大将給候之由、所承及候也、而聞書令書落候了云々、以此旨可令申給、恐々謹言、 十一月四日 静海 謹上 修理権大夫入道(頼輔)殿 一、鎌倉右幕下〈于時二品…

某科研の校正

タグと史料のデータ校正。 あと、大学で某データベースの件について諸々と。

『園太暦』貞和三年六月十三日条

抑今朝蔵人頭正四位上行左中弁兼春宮亮宗光朝臣卒去云々、日来所労虚労、并痔所労云々、生年廿六歳云々、不便々々、父資明卿現存、前後相違離別、心中尤所察也、仍遣使者訪之、父卿触穢籠居、心中只可察之旨報之、尤不便々々、

継長書状

追号文徳事、猶廻愚慮候処、崇徳・安徳・順徳共以徳之字不快候歟、花園尚可宜之由其沙汰候、被慕 聖代之旧跡事間、於自余之儀者不可及沙汰候哉、殊後円融・後小松院近例嘉模様候哉、早々可被計申由被仰出候間、急度馳申候、内々以此旨可被申入候、恐々謹言、

年度最終日

看聞は不参。レポート提出は恙なく。 これで春休みに突入。ま、大学には、ほぼ毎日通うはずだけど。

大学

如例。後継事業の会議が来月初旬に開催と云々。 近世分のチェックはほぼ終わっているから、あとは古代か。 それとデータベースの更新をせねば。

鏡の会

自分の報告。後嵯峨皇統と後光厳皇統について。集中砲火だったけど、実りある指摘を頂戴す。 早く活字化しないとなぁと思うことしきり。

崩御一覧

土御門天皇 寛喜三(1231)年十月十一日 『吾妻鑑』寛喜三年十月廿八日庚辰、晴、去十二日、土御門院於阿波国崩御之由、自京都被申之、 後鳥羽天皇 延応元(1239)年二月廿二日 『吾妻鑑』延応元年三月十七日丁亥、晴、六波羅使者参着、去二月廿二日、隠岐法…

『平戸記』仁治三年六月廿六日条

今日、殿下御物語云、顕徳院諡号可被改、可奉号後鳥羽云々、此事前内府申行歟、案此事、吾朝無例歟、至漢朝者、一両度相存之由、大府卿申之、又御改名之儀太不得其心、何故、云々不叶冥慮者又如何、又二代山陵事不可有沙汰云々、是又前内府申行歟、其条又不…

『平戸記』仁治元年閏十月十五日条

今日彼是語云、近衛二位中将亭、一昨日夜白波打入、中将多被疵給云々、事之次第未曾有歟、舎弟中納言被支申疑殆云々、其条太不可然事歟、事趣不能委記云々、 物騒ですなぁ。

神宮文庫・京都府立総合資料館

貴重・特殊本が後期已上で申請可能。申請には一ヶ月以上必要と云々。 金曜にセンターで相談することに。備忘として記し置く。 あと、資料館の方では、大通寺文書・大徳寺文書の写真帳を閲覧しようか。

小右記講読会

事情により不参。次回は年度明けか。

五専攻代表者会議

午後から会議。代表者として事務と生協に提出する要望書の件がメイン。年度末までの期限で提出し、四月の会議で諮ることに。 とりあえず、カードの案件の外、学部生対策も付記することが決定。 あとは、某件はある学科でも起きていたと云々。

懇親会

榎原ゼミの飲み会にお誘いを受けて一献。結局二次会まで。 あと同期が誕生日と判明。御祝申す。 二次会は、某科研についてのお話がメイン。難具記。

通勤読書

講談社学術文庫で再販された笠谷和比古氏の『関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制』を読了。 文中での一節。二条城の会見では家康が、「徳川−豊臣の一体的友好を永続しうるという確信」を強くしたけど、結局、大坂の陣は生じてしまう。その「豹変はまったく理解…

調べごと

木曜の報告準備と金曜提出のレポート書きをば。 夕方、院生専用のコピー機がテスト期間中の学部生によって破壊される。うーん。 やはり水曜の五専攻代表者会議で課長にいうしかないか。

どうでしょう

ベトナム縦断1800キロ編のDVDの一枚目を、調べごとをしつつ鑑賞。本編と副音声でまた朝まで。ホント、どうでしょうは体に悪いなぁw 止められへんねん。見始めると。

『親長卿記』文明二年別記の内、勧修寺前中納言教秀卿の申詞

旧院御追号後文徳、依田邑帝之聖諡号難被用哉事、雖非短慮之所覃、如為長卿記者、元明天皇勅命以其国其郡可為諡号之由分明也、就此儀、以山陵并御所、亦准諡号、或以徳称之、或依此在所号之、雖可有差異、皆為准據之上者、後文徳無巨難哉、今度比彼徳撰此院…

「為長卿記」延応元年二月廿二日条(『大染金剛院記抜書 後花園院追号事』)

桓武天皇延暦廿五年三月崩 謚曰、日本根子皇統弥照尊、平城・淳和如此、倩案此事、偏以天宗高紹不可為謚号、元明之時謚可曰其国其郡朝廷之由有勅命、然者称醍醐天皇・村上天皇者就山陵言之、白河・鳥羽者就御所言之、以元命遺勅可准之、然者是猶可謂謚号、有…

元職の新年会

某所にて、現任や過去在籍してた人に連絡し新年会があると年明け前から連絡があったものの、反省会のため不参。行きたかったぁ。4月以降の片手技のこともあるし。まぁやむを得ませんなぁ。