2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧

山形田

一献申沙汰有り。編集会議。痛飲。

集録提出〆切

論文三本受付け。六日までに査読と云々。

鎌遺25702

玄爾書状 ○金沢文庫文書 廿六日御帰座、大衆数□百人許候、 東使安藤左衛門入道『廿八日』上洛候て、是に寄宿候、即直先参着六波羅候、因□□□、六波羅数百人軍兵、馳向毘沙門堂、召取為兼候、其罪科未知実説候也云々、以此之旨、□申入給候、恐惶謹言、 (正和…

勧請

やはり鎌倉時代は「大師勧請之起請」と云われていたのしから。 あと、鎌遺26212の「重家等連署起請文」(文保元年五月廿四日)の形式は、勧請型起請文だけど、東寺古文書。うーん。やはり叡山とは別に真言宗も勧請型起請文があったのではないか、と思ってみ…

鎌遺17187

某院主御教書 ○近江長命寺文書 当寺被訴申寺務間事、及大師勧請之起請、可離寺之由、被進連署之状上者、被止宴聴法眼執務候也、殊可被致紹隆之誠之由、依 院主法印御房御気色、執達如件、 正応二年後十月廿三日 證賢(花押) 長命寺執行御房

五専攻代表者会議

12時30分から開催。議題は、大学当局への要望書について。

関連史料

『満済准后日記』 永享四年六月一日条 日野中納言家秀卿酉終入滅、猶子事広橋中納言息被定了、家秀卿大納言事内々申入処、不可有子細云々、則御執奏云々、 同年九月九日条 日野春龍丸死去、当年八歳、広橋中納言兼郷卿息也、為大納言家秀卿猶子、一家相続仁…

広橋綱光

『史料綜覧』永享4年10月9日条、「幕府、権中納言廣橋兼郷をして、日野家秀の家督を嗣ぎ、日野を稱せしめ、尋で、兼郷の子綱光をして、廣橋家を襲がしむ、」満済と看聞に記録ありと云々。 綱光公記の解題を書くために本人のことを調べようとしたら、以外…

サイコロ時房会

永享元年三月三日条。義宣の参内・院参についての打ち合わせの記事。 御劔役を近衛家家門(諸大夫)がやる事について、義満の時からの前例であると惟宗康任が言っているけど、義満のプロデューサーって二条良基なのに近衛家の家門を使うか?フツー。と謎が。…

年次別論文集

17年度分が学研に届く。珍重。 知らなかった面白そうな論文を二本発見。山田彩起子「鎌倉期における後宮の変容とその背景」(『明治大学大学院文学研究論集』22号) 岸泰子「室町・戦国期における宮中御八講・懺法講の場」(『日本宗教文化史研究』9-1)

都バス

都06新橋行のバスで、赤羽橋駅に行くことが判明。珍重。それで大学から一本で志な乃に行ける。 あと某所より入金。但し、来月の振込に使うので、手を付けないようにしないと。

鎌遺1477号

伊賀国黒田荘百姓申状 強誣申本職愁状」 右、謹検案内、彼公文年来之間、条々非法苛法難堪之中、□注五个条雖令訴申、事尚為未定、仍令觸庄家之寺僧等、庄官百姓加連判、令言上子細畢、其上尚依及御思惟、永不可信用之由、剰令進一味起請之処、猶為補百姓之長…

鎌遺1477号

報告。まるで百姓が寺僧に添削を頼んだような、グダグタな文章。 しかし、「強誣申本職愁状」は事書きか?その割には事で終わらないし。ましてや「本職」ってどれを指すのか。謎。

大学

如例。現状の作業と同様の事を近世と古代の分もやることが決定。ご挨拶。古代は火曜か。

志な乃

久方ぶりに芝へ。一献申沙汰有り。うまー。 おかみさん曰、新蕎麦は来月二週目くらいからと云々。

歴代残闕日記叙

これの皇国の風俗として、おほやけとなくわたくしとなく、高きもみじかきもよろづのわざをば見るにつけ聞につけつゝもにしるしとゞむるためしは、寛平延喜のはやくの頃より、嘉永安永の今の世にいたるまでも、いとまある大宮人はさらなり、國をしづめあだを…

データベース

某科研の仕事を承る。25万と云々。有難い。 あと某研究会へのお誘いも受ける。来月から参加歟。 毎月第三木曜と云々。

史学研究集録のための報告会・院会

三本の報告。14時から17時まで。 内容は。。。敢不能語。ただ、後から他者に読まれて、恥ずかしくないものを書いた方が本人のためだと思うので、〆切までにまともと思える者が書けなければ落とす。 院会は諸事決済。

『建内記』正長元年六月廿五日

自 室町殿有召、馳参之処、御対面、蒙仰云、武衛弟左衛門佐事、以問注所仰職事之処、公家ニ有見任之由申之、再三問答之処、按察大納言息也、彼卿支申之由頭中将返答云々、按察可支申事不思寄歟、又達 叡聞者定不可有子細之処、職事未練之間如此及子細歟、只…

古本

小川先生の『足利一門守護発展史の研究』を7Kで発見したと連絡有り。購入することを依頼す。珍重々々。

サイコロ時房会

正長二年正月条から。御山にて。 釈奠の請文。書式についての条々。 次回は三月三日条から。

家名

鎌倉後期から成立するのか、室町期から成立するのか。まぁ各家によって異なるんだろうけど。でも家職・家芸・家領とを考えれば室町のような気がするんだけどんなぁ。上記の記録や久我家を見ていると。

『建内記』抜書ノ内 修史館本第一ノ内

応永卅五三御記云(中略) 同日記云、妙法院賢長法印相語云、父葉室前宰相談云、祖父長光卿記云、勧修寺称号之事、経顕卿申家君云、可号吉田之条本意也、坊城非本意也、俊光卿号日野、依此例為長者一代之号、可称勧修寺如何、此号後可奉譲中納言殿者、家公御…

神奈川ミュージアムツアー

前日、急に発願し川崎市民ミュージアム・横浜市歴史博物館・金沢文庫の中世企画展のはしごをすることに。 最初は武蔵小杉。ミュージアムへ。等々力競技場横で以外と駅から遠い。やっと辿り着くも、企画展は27日からと云々。。。。。 気を取り直して、新丸子…

実証

歴史学に発想力と理論化する力は必要不可欠。但し、あくまで発想力には、実証できる力がないと話が浮ついてしまう。 基本、その違いが「歴史好き」と「研究者」との違いのような。 例え同じ事を思いついたとしても、深みが違うというか。 話は変わって。ある…

研究会

科研の第二回研究会。三本の報告。 来賓として本郷さん夫妻や島津さんがお越しになる。本郷さんに古文書学会の時の報告レジメをお見せす。 研究会自体の報告一本目は鎌倉時代の「失」について。朝幕が協調して頼経将軍期に「失」を定めたと云々。しかし、そ…

大学

勤務如例。

山形田

一献申沙汰有り。大関不参。

中世諡号制の特質

井原ゼミで報告。後花園院の追号改定についての史料を時間軸で見ていく試み。 諡字が意味を成さず、且つ遺諡が利用されなくなった、後花園院は中世諡号制の終焉だと思う。 久方ぶりの井原ゼミでの報告だったが、昔通り峻烈。問題意識や論文の作り方の段取り…

鎌倉時代

連日で更新。とりあえず、古文書学ノートを年度内に完成UPしたい。春休みの宿題かな。