2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

後伏見上皇書状(『鎌遺』25830)

(旧端裏書)「法皇御書〈為基事、正和五五一〉」 孟夏一日、珍重幸甚々々、 抑一昨日令申候為基事、可為何樣候哉、以覚心(藤原為雄)子息儀、無為之条、不可有苦者、神妙事候歟、禁中無申限式にて候なりにも、当時富直候、無相違候者、可宜候歟、而若猶不…

『氏経卿引付』第三冊「職事奉行藤原俊言施行状」

二所太神宮正権禰宜等加叙栄爵事、 宣下位記未到之間、且可令従神事之由、任例可被下知之状如件、 (正和元年)五月十七日 右中将俊言 大夫史(小槻伊綱)殿 鎌遺にも載っていない俊言の文書。載っているのは24620の「伏見上皇院宣」。

『花園天皇宸記』土御門雅長の特集記事。

正和二年正月一日、天陰雨降、卯剋沐浴、辰剋装束了出清涼殿、今日依為雨儀、四方拝之御装束軒廊装之、(中御門)冬定朝臣候裾、(藤原)俊言朝臣候御劔、儀如例、戌剋供御薬如例、春宮権大夫(土御門雅長)依遅参、節会及丑剋、々々予出南殿之義如例、但施…

GW

長期連休と云々。図書館が使えないのはイタイけど、作業用に学研を2日まで利用申請。 GW明けには、生協からの返答もくるか。それまでに種々の書類を作っておかないと。

秋葉から神田、そして池袋へ

ThinkPadのACアダプタを買いに若松へ。途中、歩行者天国を眺め見るも、取り締まりが厳しくなったというだけあって、路上にコスな人はいなかったような。 買い物をサクサクと済ませて、明神下を通過して神保町へ。『民経記』二巻と『奈良県史』10 荘園を破格…

『花園天皇宸記』正和二年四月十一日条

英成朝臣・全成朝臣朕腫物針立、血多出、後痛頗休、今日物忌、 花園院の日記って、後世にどれだけ古例として引かれたんだろうか。

町田で一献申沙汰

113期の教員組と一献。痛飲。

「崇光院宸筆書状」(鹿王院所蔵『金剛院文書』)

ヤフオクで、崇光の史料を発見。どうも内閣修史局の『史徴墨宝』をばらしたもののような感じが。 とりあえず宸翰英華で確認。 光厳院殿御塔頭、於天龍寺建立輭事、尤可然存候、就其在所以下事、宜可為寺家之計歟之由存候、可為何様候哉、此事先日禁裏へも申…

のぼうの城

読了。忍城攻防戦の成田長親が主人公。なかなか面白いところに目を付けたなぁと思います。後北条討伐戦なのに、氏政とかが全然でてこないし。

国史

今月は中世。伊達特集。来月は大会。なぜか大会の部会職事に。 打ち合わせは九日か。

ADSL

IPSから速度変更の案内が。 いまは下りが最大10Mの契約。 改めて、NTTで収容局からの距離を調べようと思ったけど、回線自体が他社に遷していたので不明。確か1.5kmくらいだったハズ。 それは兎も角。IPSと他とで速度測定してみたら、23〜24時の間で6.5Mbps。…

日雇い労働

二日続きでパソコンメンテのお仕事。そのためゼミの飲み会は不参。

院会人事

次期会長・副会長は治定か。とりあえず珍重。

奨学金

なんとか受かりました。はー、良かった。 しかし振込は六月下旬になると云々。問題はそこまでの生活ですな。

サイモンとキショウ

祭文は神を祭る文書。 起請は事を発起して、それを実行することの許可を上(支配者)に請うこと。

対決列島

MXテレビが第3夜。千葉テレビが第1夜。いやー、落語感覚。何度見ても面白ひ。

新書

榎原さんの『中世の東海道をゆく 京から鎌倉へ、旅路の風景』を新刊で見つけたので購入。

ぐんしょ

宮川葉子「後土御門院の追号−「後法興院記」を中心に−」をコピる。 捜してみると、追号の論文もあるもんです。

某索引

御方と図書館下のラウンジにてご挨拶をする。貴重なお話を聞く。有難い。 サイトの文献一覧の不備などご指摘を頂戴す。すぐに更新。

五専攻代表者会議

如例。次回は七月。議長をして次代に引継か。主要な議題は新図書館への要望書作成になるハズ。七月になれば試験期間に突入するから、図書館への要望も出揃うかと。 今回は生協への要望書へ各専攻代表者が連署し、明日提出することが決定。

追号

どうでも良いことですが。 後陽成の陽成は、陽成院の陽成で、追号デスヨ。 やはり遺諡といい、色んな情報がゴッチャになって、氾濫してますなぁ。

某索引

御方に明日大学でご挨拶することが決定。

院会

明日の代表者会議用に、生協への要望書を再作成。

シンポ準備

報告者の方々と個別に連絡をして、方向性の確認をば。 やはり方向性の調整ってのはいろんな意味で難しい。

『清祐ただいま在庄』

岩井三四二さんの小説を購入。小説とはいえ、月浦庄といい、ほんと在地の相論などを良くご存じだなぁと思うことしきり。 帰りの電車で通読。

修論報告と撮影勉強会

六限は修論報告。・・・・・。 七限は史料の撮影の勉強会。

『花園天皇宸記』元応元年七月廿九日条

晴、今日院御幸二条前関白押小路亭、為泉辺納涼也、(中略)、到押小路第、前関白寄御車、即寄泉亭、下車後頃之雑談、召禅閤、々々参、有暫退出、有小弓々場、仍被召御弓、但即供肴物之間不及射之、一献後召禅閤、即参、数献及乱会、諸人酩酊、禅閤愛物白拍子…

対決列島

MXテレビ。今日は第2夜。水曜は23時までに帰宅せにゃ。

『花園天皇宸記』元亨元年四月廿一日条

晴、衣笠三品有小造作事、上棟為今日、仍可引馬、於番匠馬一匹可相尋之由被示、仍仰俊光卿、早旦所引進也、今日童一人相具猿参、此猿施種々芸能、与人不異、尤有興、禽獣之無情、随人如此、聖人之教化、民庶之随之、不誠乎、痛哉、去聖遠、君臣無徳行、民不…

『明月記』天福元年十二月六日条

聞、左中将源通時、十一月廿三日於関東終命、〈候安嘉門院、女子俄退出云々〉、姉妹姫宮、春日局、今度除目可被補頭之由告送、使不到着死去云々、運之拙非人力事歟、大臣孫、大納言三男也、五十余、為義時聟、而義村頻挙、遂不仮公卿之名、可悲事歟