2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

『実躬卿記』嘉元三年五月八日条

晴、入夜微雨、去夜子刻関東飛脚到来、駿河守(北条)宗方去四日被誅云々、武家終夜馳集云々、宗方当時随分有賢者之聞、不便々々、 関東状曰、 駿河守宗方依有陰謀之企、今日子刻、被誅了、可存其旨、且就此事、在京人并西国地頭・御家人等不可参向之由、可…

某所

部屋の助教は他大へ出校のため、不参。 諸事を扱う。

見学会

東博にて皇室の名宝を見学。思っていたより混んではいなかったような。 再度花園院宸記などを覧る。 ミュージアムショップで、葛飾区郷土と天文の博物館の企画展「関東戦乱」の図録を購入。下河辺・江戸などの諸氏のDBのROMが附録。為向後也。 また、参加者…

『吾妻鏡』延応二年三月十八日条

十八日壬午、関東御家人并鎌倉祗候人々、万事停止過差可好倹約条々事、日来有沙汰、今日被造其制符、自来四月一日、固可禁制之云々、又御家人郎等任官事々、向後所被停止也、依之、関東家人之由称申者、糺明主人、□□相触重時可被申任之趣、兼日可被示置官蔵…

原稿。

〆切が迫ると体もPCも酷使する。。。さすれば、双方とも不具合がでるものでして。 注の部分を保存せずに消えたときには、久しぶりに顔が青ざめましたわ。ええ。 それで改めて仕切り直しして吾妻を提出。 次は某史料集の確認作業。紙ベースで読んで付け足しし…

某大

人形町にてミーティング。 K先生とご挨拶して、来期の講義について。シラバスの〆切は来月7日と云々。 その後は購入した古文書整理について。委細不能記。

「三条前中納言家雑掌慶清重申状」(筒井寛秀氏所蔵)

三条前中納言家雑掌慶清重言上 欲早侍従房弁蔵人法橋寛禅已下違 勅至極上者、被召出其身、被処所当罪科摂津国杭瀬庄濫妨狼藉事 副進 一通 勅裁 院宣案〈但先進〉 一通 重 院宣案〈但先進〉 一通 長官施行状案〈但先達〉 一通 重 院宣案〈八月十四日注進〉 一…

某所

如例。気づくと19 20時を過ぐ。 今週はサーバ導入強化週間の如し。 まるで、この部屋だけ部局が違うようだ。

ゆめぴりか

北海道産で初物ということで、どうしても食べたかった一品。品薄と風聞の中、実家より到来。珍重々々。 さっそく焚いてみると。。。。噂に違わず、なまらうめー。 残りを焼きおにぎりにしたっけ、もったいないくらいモチモチ感あふれるおにぎりに。 すばらし…

「前大僧正某附属状」(『鎌遺』25642号 久我家文書)

附属 大恩院 同寺領因幡国石田本新両庄 山階忌日田山崎□□ 伊勢国中楽寺 東塔西谷定光房并府帳等 霊山坊舎并近辺敷地 右、彼院并寺領等、相副次第調度文書□、所令附属太政僧都公厳也、向後□不可有他人之妨、但背遺誡、乱行不調之儀出来之時者、不可全譲於附弟…

「足利直義下知状」(『萩藩閥閲録』45-2 三浦又右衞門)

周防国仁保庄〈領家日野薬壽〉雑掌慶清申検注事 右、当庄内永野小高地頭安芸蔵人三郎貞敏、抑留初任検注之由依訴申、可尋沙汰之旨被下院宣訖、仍為飯尾左衛門大夫貞兼奉行、就加催促、貞敏差進代官所捧陳状也、如状者、当庄領家雖及数十代、更無初任検注之例…

「慶清請文」(『久我家文書』60号文書)

(端裏書)「慶清請文 〈五ヶ年請申事、康永元 七 十九〉 請申 因幡国石田本庄領家御方伍箇年所務事 右、為大恩院修理料足、以直銭陸拾貫文、自当年壬午歳至于戌年伍箇年所請申也、名々注文〈在別紙、〉下給畢、於不熟損亡年者、被下検使、年貢之定足於令結…

某所

非番ながら増設備品が届くので出勤。 ディスプレイは24インチ、メモリは2Gと成す。珍重々々。 室に居ると結局、働く私。偉いオレ。頑張るオレ。

皇室の名宝展

29日まで開催されている東博の企画展へ。 雨の平日だから多少は人が少なかろうと思っていたけど、大間違い。内容の濃さもあってか、人だかりの多いこと×2。 じっくり見ようとしても、流れを止めているため押される+睨まれる。人が少ない時がないものかしら…

卒論査読

評価書作成し大学へ返送。 んー。委細不能記。

某所

定例協議。如例。

慶事

友人の式の二次会。 田町にて催さるる。旧友とご挨拶。珍重々々。 二次会の後は、更に一献申沙汰あり。

某所

如例。ミーティングや作業が重なる時に限って障害が。。。 巧くできてるなぁ。

どうでしょう事典

到来。珍重々々。 然而、トランプは当日にして売り切れ。バカは依然と多いんですなぁ。自分も含めて。

史料紹介

綱光くんの原稿をやっと書いて大学へ。 校正は今月末と云々。 あと、吾妻の訳と卒研の評価書と某書状の読みを同時並行。 がんばれオレ。

抜刷賦

大学で、お世話になった方々へ抜刷を献上。 不在の方には送付す。これで今回の小論は了り。

「関東下知状」(『鎌遺』25139号)

江戸次郎太郎重通与同孫太郎政重相論重代鎧・旗并文書等事、 右、於祖父重益跡者、以重通父太郎次郎行重為嫡子、永仁六年三月十七日配分畢、爰行重跡又為未分之間、及嫡庶論処、重通可為家督之条、去年十二月五日所被裁許也、而重代鎧・旗及文書等、政重依為…

「閑院内裏造営雑事目録」(『鎌遺』7179号)

(前略) 西鰭 五丈 楊井左近将監跡 十丈 平子次郎入道跡 十丈 源雅楽左衛門 十丈 原東左衛門 五丈 佐々木六郎法橋跡 十丈 朝山右馬大夫跡 五丈 都筑右衛門跡 六丈 伊志良左衛門跡 六丈 蛭河刑部丞跡 六丈 日田四郎跡伊美太郎兵衛尉 六丈 望月四郎兵衛尉 六…

「成真処分状」(『鎌遺』7050号)

処分 出雲国安田庄 本件安田庄者、為宮寺往古神領、年序久相積之処、去承久兵革以後、地頭江戸四郎太郎重茂寄事於左右、令忽緒宮寺間、為興行神領、□□成真可門跡相伝由、申賜 宣旨状者也、然間、触申事由於関東、令中分畢、□亀一御前為□□□間、限永代所譲与也…

広橋家

平凡社の『日本史大事典』より。 藤原氏北家内麻呂の流れ、日野家の支流。日野兼光の五男権中納言頼資(1183-1236)を始祖とする。しかし頼資は四辻または勘解由小路と称し、その子経宣に至り広橋を号した。家格は名家。始祖以下四代は中納言を極官としたが…

『花園天皇宸記』元亨二年正月十七日条

伝聞、権中納言藤原(徳大寺)実孝朝臣薨云々、一流之名家殆終歟、可悲々々、抑此卿有若亡、毎出仕必有失礼、然而如形享累代之跡赴朝家、而今不昇亜相夭折、太不便事也、享年30歳。11年間も権中納言に据え置かれたままの死。花園天皇在位期の『続史愚抄』を…

ゆきだるま

傍輩と一献申沙汰有り。飲みホと食べホで3980円は安いと思うけど、つけ麺がないのは悲しい。

某所

如例。

「大宮長興書状」(『京都御所東山御文庫所蔵 地下文書』39)

(附札)「雅久宿禰申官務職之事」 (端裏書)「雅久宿禰 〈文明十八六十九〉」 (中略) 一、就武家御拜賀、為参陣申上云々、其身為当官者、可参陣之条勿論也、依御拜賀、若年輩背先例可任太史之段、如何候哉、加任祗候事、強可為御拜賀之詮要候歟、 右条々…

「大館高信二問状案」(『京都御所東山御文庫所蔵 地下文書』65)

(附札)「大舎人織手方機年貢事万里小路家ト相論」 (端裏書)「大館兵庫頭高信二問状 案文」 大館兵庫頭高信重謹言上 右、洛中洛外大舎人織手方機年貢事、先度就御尋具令言上訖、然万里小路家(秀房)書札趣者、女房御文之外者、別〈仁〉可申子細無之云々…