「大館高信二問状案」(『京都御所東山御文庫所蔵 地下文書』65)

(附札)「大舎人織手方機年貢事万里小路家ト相論」
(端裏書)「大館兵庫頭高信二問状 案文」
  大館兵庫頭高信重謹言上
右、洛中洛外大舎人織手方機年貢事、先度就御尋具令言上訖、然万里小路家(秀房)書札趣者、女房御文之外者、別〈仁〉可申子細無之云々、度々雖被成奉書、数年終不被経 上裁、年々数度背御下知、或及強所務、或入私之折紙、其謂依為重畳、当年始〈而〉替様体、掠叡慮、女房御文被申出者哉、仍 恵林院殿(足利義稙)御代、被充行伊勢又次郎令知行訖、以其筋目、当御代(足利義晴)被仰付高信以来、于今当知行旨言上之処、雖被仰付伊勢又次郎、 禁裏御料所之段依無紛、無相違御知行云々、然時者、伊勢又次郎知行之段者承伏也、然者、 恵林院殿御代、被仰分御還付御下知可在之、早速可被出帯、不然者、謀略言上也、次 恵林院殿御成敗為非分之儀之間、彼御下知不可為證跡云々、惣別 禁裏御料所并朝恩地、堂上之衆以下、悉以 御代々御判・御下知等被領知事、為連綿之儀者哉、不被憚 上裁申状、不可然歟、所詮、万里小路家者、連年被違背上意、只今恣言上、可有御法者哉、此等之趣、被聞食分、既云両 御代御成敗、云当知行、旁任理運旨、御裁許可忝存者也、仍粗謹言上如件、
 天文六年八月 日