『花園天皇宸記』元亨二年正月十七日条

伝聞、権中納言藤原(徳大寺)実孝朝臣薨云々、一流之名家殆終歟、可悲々々、抑此卿有若亡、毎出仕必有失礼、然而如形享累代之跡赴朝家、而今不昇亜相夭折、太不便事也、

享年30歳。11年間も権中納言に据え置かれたままの死。花園天皇在位期の『続史愚抄』を見ても、働き盛りの中納言なのに上卿を勤めた形跡は無し。文書発給もなし。典型的な無能な清華家か。長生きをしていたとしても父・公孝のように太政大臣になれたかどうかは甚だ疑問。ちなみに祖父は有名な実基。
家格が固定化されつつあるとはいえ、さすがに無能者は一定のライン以上は昇進出来ないということか。

そして徳大寺家の一流で大納言になれなかったのは、この実孝と実久のみ。実久というのは猪熊事件で姦淫放蕩した御仁。