広橋綱光

 『史料綜覧』永享4年10月9日条、「幕府、権中納言廣橋兼郷をして、日野家秀の家督を嗣ぎ、日野を稱せしめ、尋で、兼郷の子綱光をして、廣橋家を襲がしむ、」満済と看聞に記録ありと云々。
 綱光公記の解題を書くために本人のことを調べようとしたら、以外と文献が無い。
 そんな中で、綱光が初めて史料に現われるのが上記の記事。詳細は下に。
 しかし、幕府は日野家を大切にするんですなぁ。