三種の神器

 って、いつから今ほど重要視されていたんでしょう?
 まぁ南朝が後生大事に抱えてて、自分のトコのがホンモノだー、と紀伊半島の奧地で正統を叫ぶのは、正統性(実力も)が無いと自覚しているからで。
 以前でも壇の浦で剱がなくなったって替えを用意する訳だし。ましてや天皇だって中身を見ないんだし。
 そうした物を正統性の根源としていたのか、個人的には太疑問。
 と考えれば、時代はだいぶ下って明治になってから南北朝正閏論が問題となり、南朝正義になって北朝の血統であった現天皇家が正統のよりどころとしたのが、南朝から合一の際に譲り受けた「三種の神器」だったのかしら。
 実際、明治以降の伝統なんて「作られた伝統」な訳で、中世からみりゃ立派な「新儀」。
 そうした「新儀」が構築される最中に、三種の神器が思った以上に付加価値を付けられて、現代の人々に意識されていく。っていう話もアリのような。
 もう誰かが仰られているのかも知れませんが。
 今度、近代の本を読んで見よう。