鏡の会

秉燭よりzoom史料読みの会なり。

治承五年正月十八日、乙丑、去年十二月廿八日、南都東大寺、興福寺已下堂塔坊舎、悉以為平家焼失、僅勅封倉寺封倉等免此災、火焔及大仏殿之間、不堪其□、周章投身、焼死者三人、両寺之間、不意焼死者百余人之由、今日風聞于関東、是相模国毛利庄住人僧印景之説也、印景為学道、此両三年在南都、依彼滅亡帰国云々、

前回辿り着けなかった南都焼き討ちについて。

国史大系だと「不堪其□、周章」とあり。吉川本は「不堪其周章」とあり。

ただ、「其の周章に堪えず」というのも返りが気持ち悪い。だからこそ、黒板先生は其の□に堪えず、周章し」としたか。ただハコなしで「其れに堪えず、周章し」でもいけそう。

また「今日風聞于関東」の風聞の主体はどこか。初めて南都焼き討ちの情報が入ったか、もしくは印景から聞いた、見てきた具体的な死者などか。

前年の十二月二十八日条には、南都焼き討ちの記事があり。これは「回禄」とかを使っているから京都側の日記を参照していると思われ。

そう考えると、印景の記事ってのは、誰が手控えをしていたのか。頼朝の右筆の邦通あたりなんだろうか。などなど議論す。