雑感

せっかくなので、ふり返り用に雑感の続き。

院生の頃は、上の人たち(師匠筋のT、I先生、Y先生、M下先生。編纂所のHさんとか、Eさんとか。先輩がたのO田さん、H越さん、H沼さんなど多々)と一緒に史料を捲るのにあけくれ、サーバを扱えるということで重宝され軍役が廻ってきて、とりあえず目の前の仕事をするって生活だったと思う。
論文ばかり読んでいたところからスタートしたので、史料が読めない後ろめたさがあって(それは今もだが)、史料読みにあけくれ、多少は学内では読める方かなーと思っていた時期。TAとして教えるにせよ、先代の師匠から教わったようなやり方しか出来なかった。
ちょうど院生の後半から編纂所でバイトをするようになり、また自由に史料がめくれたので、ホント至福の時間を過ごした気がする。無論サーバの保守なり、震災の対応なりがあって大変なこともあったけど、そんな苦労は忘れた。
それから幾つか非常勤を掛け持ちしつつ、いまの職場で専任になって、教養学部系のカリキュラムを担当するようになる。勿論、史学ではない。証拠を提示するという意味では史料読みは大切だけど、教養学部では史料読みそのものの科目も必要もなく。ただ、新たな知との出会いをさせるように心がけた。
そんな中で師匠の定年が近づき、母校のゼミを受け持たせて3年。最終年度は1年間を通じて持たせてもらい、はじめて史学のゼミ生をもつことになった。
かくして、いまの職場で培ったスキルやら史料読みのテクニックやら、何より「史料嫌いにするな」という師匠の下知を受けて取り組み、何よりありがたかったのがスポンジのように吸収してくれるゼミ生がいたことなんだろうな。御陰で得がたい教え子たちを縁を結ぶことができた。特別な、と思う弟子もできたし。
卒業・院進したにもかかわらず、よく飲みにいき、旅行にも行き、古き良きゼミを謳歌した感がある。まぁ来年も院進した子たちは渋谷にいるし飲むことも多々あるだろう。
2010年代やみくもに仕事をして、学科を設立したり、本を書いていたりしたものの、あまり手応えを感じなかった中で、史料読みを生み出せた、というか手応えを感じられたのはありがたいことだった。大学人として一つステージを登った気がする。
これは師匠にも、教え子たちにも感謝しないとなぁと強く思う。師匠にはいわないけどw
改めて顧みて感じた思いを忘れずに、2020年代は自分の研究と自分がやりたい教育ができることを目指して、頑張ろう。