zoom史料講読

夜半より行う。

吾妻の治承5年正月6日条。早河合戦とは、大きなまとまりでいえば、石橋山の合戦の末尾にある北条宗時が殺される合戦に相当する。

ただ場所としては、伊豆国の早河。桑原郷に相当するか。

また、平井紀六が何故波多野荘に逃げたのか。北条時政の位置付けは申次なのか、舅だからなのかなど議論に及ぶ。時政は関さんがリブレットに書かれているけど、人物叢書は未刊なり。まだまだ論じられることってあるんだなぁと。

そして建仁2年6月1日条に、桑原郷で宗時の墳墓が建てられるとある。命を落とした場所に墳墓を建てるということがあるんだな。石橋山の合戦の地でも、佐奈田与一の墳墓があり頼朝が落涙したという記事が吾妻にあるけど、これらは珍しい事案なのかしら。

議論が愉しく深更に及ぶ。

次回は6月初旬なり。