久我家文書

以前、古文書研究で書いた小論では1号文書を南北朝期に書かれたものとしたが、今回の調査で料紙的にも裏付けがとれた。

改めて考えてみると、南北朝期に考える、紛失状の証判になる訳で、これこそ中世の山城国衙の行政を知る手掛かりになると思うんだよな。

山城など畿内の国衙機構の研究ってほぼないし。紛失状を改めて集めて、考えてみたい。後日の宿題とす。