以前、古文書研究で書いた小論では1号文書を南北朝期に書かれたものとしたが、今回の調査で料紙的にも裏付けがとれた。 改めて考えてみると、南北朝期に考える、紛失状の証判になる訳で、これこそ中世の山城国衙の行政を知る手掛かりになると思うんだよな。 …
原稿も滞っているものの、それぞれの時代の校閲の沙汰あり。8月末までと云々。
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