『正徹物語』201篇

 歌の数寄につきてあまたあり。茶の数寄にも品々あり。先ず茶の数寄といふ者は、茶の具足を綺麗にして、建盞・天目・茶釜・水差などの色々の茶の具足を、心の及ぶ程たしなみもちたる人は、茶数寄なり。これを歌にていはば、硯・文台・短冊・懐紙などうつくしくたしなみて、何時も一続など詠み、会所などしかるべき人は、茶数寄のたぐひなり。
 また、茶飲みといふ者は、別して茶の具をばいはず、いづくにても十服茶などをよく飲みて、宇治茶ならば、「三番茶なり。時分は三月一日わたりにしたる茶なり」と飲み、栂尾にては、「これはとばたの薗」とも、「これはさかさまの薗」とも飲み知るやうに、よくその所の茶と前山名金吾*1などの様に飲み知るを茶飲みといふなり。これを歌にては、歌の善悪を弁へ、詞の用捨を存じ、心の邪正を明らめ悟り、人の歌をもよく高下を見分けなどせんは、いかさまにも歌の髄脳にとほりてさとりしれりと心得べし。これを茶飲みのたぐひとすべし。
 さて茶くらひといふは、大茶椀にてひくづにても吉き茶にても、茶といへば飲みゐて、更に茶の善悪をも知らず、おほく飲みゐたるは、茶くらひなり。これは歌にては、詞の用捨もなく、心の善悪をもいはず、下手とまじはり、上手ともまじはりて、いか程ともなく詠む事を好みて詠みゐたるは、茶くらいのたぐひなり。
 この三の数寄は、いづれにてもあれ、一の類にてだにあれば、座につらなるなり。智蘊は「我は茶くらひの衆なり」と申し侍りし。

*1:時熙