「室町・戦国期の武家昵近公家衆−その構成を中心として−」瀧澤逸也(『国史学』162号)

 将軍に仕える昵近衆の実態は家司・家礼に代表される側近公家衆。衆の固定化によって成立した。淵源は義満期に遡るが、日野・勧修寺両流(名家層)が義教将軍期に弾圧を受けているので、それ以降と考えられる。
 室町幕府的階層秩序の形成に揆を一にして成立しているという。
 昵近衆の家柄は、日野・正親町三条・烏丸・飛鳥井・高倉・広橋の譜代六家(勧修寺・上冷泉家を含めると八家)とそれ以外の数家で構成される。武家伝奏もこの衆から選ばれ、「公武融和政治」の担い手であった。
 と云々。