『板碑源流考』

必要に迫られて千々和實『板碑源流考』を開く。何年ぶりか。末尾にある千々和到「千々和實の仕事について-あとがきにかえて」は父の仕事を語りつつも、ご自身の研究スタイルを語る自分史でもあるんだな。以下、抄出。

『高山彦九郎日記』も単なる勤皇の志士の日記として編纂したわけではない。明治維新を下ざさえした民衆の動きがここにでてくるんだ、飢饉に苦しむ民衆、一揆をおした民衆がここにでてくるんだ、というのが、彼の口ぐせだった。

父は、史料を自分の手で集めもせず、学界への史料の紹介も保存の努力もせず、それでいて書斎で要領のよい論文に仕立てるような研究者になるには不器用すぎた。まず史料を守り、紹介する努力をせねば、という父の信念は、正しいと思う。
受け継げないものは受け継げないものとして、父のこの正しい信念は、まっとうに引き継いでいきたいと思う。

 この「まず史料を守り、紹介する努力をせねば」というのがあの人にとって史料編纂であり、史料を大切にする姿勢ってことなんだろう。

少なくとも弟子としては、その姿勢は受け継ぎたい。

そして何より、やっぱり文章がうまいなぁ。悔しいけど。