インターネット歴史学の可能性

 インターネットが歴史学に、何をもたらすのか。未だ定説を見ない。
 1995年にウィンドウズ95が発売され、道具としてのパソコンは大きな転換点を迎えた。パソコン通信から、インターネットへ。時間と距離を瞬時に縮めるインターネットは、歴史研究者にとって、遠方の研究機関にアクセスする格好のツールとなった。研究機関はデータペースを充実させることをめざし、古文書・古記録の語句の検索や所蔵文書の検索が容易になったことは、一個人の研究者としても非常に有難いことといえよう。
 そうしたデータベースの充実の必要性は、これまで学会誌等でインターネット特集が組まれた際に、縷々述べられていることでもある。
 しかし、その一方でインターネットの弊害も見られる。
 以下のウェキペディアに関する記事は最たる例といえよう。

「ウィキペディア頼み、誤答続々 米大学が試験で引用禁止」(『朝日新聞』2007年2月23日)
 米バーモント州にある名門ミドルベリー大学の史学部が、オンラインで一定の利用者が書き込んだり修正したりできる百科事典「ウィキペディア」を学生がテストやリポートで引用することを認めない措置を1月に決めた。日本史の講義をもつ同大教授がテストでの共通の間違いをたどったところ、ウィキペディア(英語版)の「島原の乱」(1637〜38)をめぐる記述にたどり着いたことが措置導入の一つのきっかけになった。(中略)
ウィキペディアの創始者のジミー・ウェルズさん(40)は「慈善的に人間の知識を集める事業であり、ブリタニカと同様以上の質をめざして努力している。ただ、百科事典の引用は学術研究の文書には適切でないと言い続けてきた」と話す。

 これはアメリカだけの問題ではない。日本の歴史学界にとっても他山の石とすべきである。全世界に発信された情報は、いつ誰が読むかの認定は出来ない。インターネットでプライオリティを守るのは、紙面に活字化された論文とは異なって非常に難しい。
 そこで改めて、冒頭で述べた「インターネットが歴史学に、何をもたらすのか」に立ち戻りたい。インターネットは単にデータベースだけを提供する工具なのか。それとも、歴史学という学問に新しい方法論を提供するのか。
 現在、インターネットは、web2.0に進化している。梅田望夫氏の『ウェブ進化論』がいう「不特定多数無限大の知が結集する巨大なデータベース」という考え方が、インターネット利用者・作成者双方にあり、主流といえよう。
 しかし、情報をいくら集積し巨大化させても、本来の「知」にはならない。自らの「無知の知」に気づき、知らないことの情報を引き出す方法を知っていることこそ「知」に他ならない。闇雲に情報を集めていても、「知」にはならないのである。
 そうした、情報の選別は規模の差こそあれ、古代より行なわれてきた。その端的な例が「部類記」である。部類記とは、記録から抄出した記事を類別に編集したものである。時代を経るごとに、公事の作法故実が細密化され、先例を引勘するために作成された。
 中には抄出されるのではなく、記録が切り刻まれ、必要部分だけを貼り付けて部類記が作成されたものもある。
 これはまさにインターネットのwwwで利用されるhtmlを想起させはしないだろうか。
 例えば一つの画面に、編纂された史料群が表示されるとしよう。その史料群の個別史料にはリンクが張られ、元の史料に辿り着く。関連条文にもリンクが張られ、重層的な表示によって、より深く一つの事象を知ることが可能となる。
 更に訓読や研究動向・論文の公開を含め多くの情報をリンクすれば、html言語の利点が活用することが出来る。インターネット歴史学時代の「知」の誕生となるだろう。

 ・・・と粗々な駄文でした。