『中臣祐春記』弘安六年八月廿四日条

同日、次預祐広死去〈生年八十一歳云々〉、去夏臨時祭之祝相論之時、対祐春彼祐広息業書起請文了、而父死去不可説事也、〈其故ハ貞応・嘉禄ニ若宮神主故障之時、以祐綱為代官之由祐春申之、而正預祐家ハ非代官儀之由申之時、祐家可書起請文之由衆命在之時、祐家ハ恐神罰不書此趣候之処、彼祐業書之了、依之也〉、

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いや、老衰だろう。