「天正二十年日記書抜」(『北野天満宮史料』古記録)

十二月四日、庚寅、九州なこやより千仙之書状去月十九日付今日到来ス、千石権兵衛尉越前守ニ御成候、左右相聞こゆる也、
同月六日、壬辰、九州名護屋より千石権兵衛殿より去月十九日之書状到来ス、諸大夫ニ御成在て越前守と在ル、

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この天正二十年日記書抜には秀久でまくり。千仙とか千国とか色々略されているけど。
もうこの時には、小田原合戦で挽回した後か。
しかし、何か北野社(というか禅昌あたり)と関係があるのか?
「北野日記」にもよう登場するし。