山本小右記

催さるる。参加者は先生、小保内さん、田井さん、大塚さん、柿島さん、私。
研究報告と、長和元年四月十四日・十六日条の追加報告と、十八日条の講読。
まず、十六日条の会話の訳としては、(朝経曰く)「祭行事宰相事申左相府命云「早可令奏」者、即参陣外、以蔵人雅康経奏、(天皇が)仰云「可仰修理大夫藤原朝臣」。そのレスで実資が「但御禊日依穢不可参入、而如令奏者、上一人参行之例也、多者有何事、可仰可参祭之由」と言ったのではないかと提案。
通任については、官歴や古記録を見る限り、だいぶ残念な人っぽい。
三条天皇は小野宮流と小一条流は味方にしたく、逆に道長は外戚となってしまう小一条流の通任を目の敵にしていたとしても、才覚がなければ如何ともしがたい。
本当は才気あふれる人物だったけど、道長に潰されたとなければ話は変わる。けど、発給文書もないので評価のようがない。

そして、次回は来月十日と云々。前日は札幌日帰りだし、準備ができるのやら。