「前司負累不可懸後任輩」

 それでは、室町中期頃から、一貫して同じ論理にもとづいてなされてきたこの社領回復の動きを支える論理とはいったいどのようなものであっただろうか。
 ここで一つ、目につくのは「前司負累不可懸後任輩」という法理である。これが史料中に直接に現われるのは、明応六(一四九七)年を初見に、わずか五例しかみられず、いずれも幕府奉行人奉書であるが、これらは、職田の紛争に対するものであり、「当社他社例」「先例」「大法」とされている。改補に際して、前任者の負債が事実上棄捐されるという、一種の「徳政令」としての法理が、世間一般に承認される、寺社領に個有の「大法」として成立していたのである。この法理には、祠官職=遷代之職という考えが前提として存在することは間違いない。

山中隆生「中世松尾社領に関する一考察 −社家の系譜と伝領のあり方をめぐって−」(『年報 中世史研究』6号 1983年)