『中世法制史料集』第二巻 室町幕府法

文亀二年八月五日
一 廿七日、細川御成申入之、日野・広橋於一条町喧嘩、広橋之内者両方手負在之、広橋自身被疵、重又広橋雑色一人被分一人被切之了、
奉行人共申状意見、
  日野殿与広橋家喧嘩事
於日野家被官人者、遠藤孫六失生涯云々、至広橋家者、自身被疵之条、可為相當之旨、雖被申之、去長享年中、南都尊勝院鈎御陣参賀之時、結城新介及喧嘩、尊勝院令刃傷、剰同宿以下雖死去、新介若党一人被切腹畢、然広橋家雑色為日野家被搦置之、不事問被誅之上者、此儀可為等同哉、次於一条大路刎首事、物忩之沙汰歟、向後堅可有御制禁事、宜為上意矣、
 文亀二年七月廿八日   豊前守頼亮
                下総守為頼
                大和守元行

 文亀年間でも、公家は物騒だねぇ。