国忌

 鎌倉・室町期の天皇観は何から見るべきか。とりあえず、国忌が恙なくしていることですかねぇ。
 天皇崩御の日に、官にて、定められた寺院で追善供養の斎会を行うこと。とあって平安時代では、以下の通り。

『平安時代史事典』より

平安時代でみると、天智天皇(12月3日)・桓武天皇(3月17日)・光孝天皇(8月26日)・光仁天皇(12月23日)・仁明天皇(3月21日)・醍醐天皇(9月29日)・村上天皇(5月25日)・円融天皇(2月12日)などの国忌が終始見える。国忌の日に当たると、信濃駒牽や大原野祭等の年中行事も延引され、特定の寺家に付して法要が行われる。仁和寺(光孝天皇)・東寺(仁明天皇)・円融寺(一条天皇)・法興院(三条天皇)・円宗寺(後三条天皇)・法勝寺(白河天皇)・尊勝寺(堀河天皇)などである。

 調べてみたら、国忌が廃止されないのは、天智・光仁・桓武・仁明・光孝・醍醐の六人。あと、皇后を加えて、九国忌が中世でも固定されたと云々。
 でも天子七廟ともいうし。