笠松さん

 奥の本棚の中身をひっくり返したら、「中世人との対話」を発見。珍重。
 改めて読み返すと、つくづく文章の巧さに脱帽。
 そんな中、サルヴァドール・ダリの一文

画家よ、完成を怖れてはならぬ。君はとても完成に達するどころか!
もし君が凡庸な画家なら、下手に見せかけて描こうとしてみたところで、君が依然として凡庸な画家であることは一目瞭然だからだ

を引いてから

 いやというほど多くの頁の上に残されている、「下手に見せかけて画こう」とする空しい努力の痕

とか、

 最初からいくつもの断り書きをつけられて持ち出された論点は、章を追うごとにますます細切りにされ、しかも問題を細かく設定し、その一つ一つに小さな「完成」を積み重ねていくような装いをまといながら、いつの間にか「完成」は修飾語にかざられた「可能性」にすりかえられてしまう。断定をさけ、結論をぼかす。下手にみせかけわけのわからぬ「可能性」と「期待」のヴェールの向こうに、下手ではない自分を浮び上らせようとする小細工で、それは満ちていた

と書かれている。
初めてこの文章を読んだのは、研究同人で独りよがりな文章を書いていてた頃。これを読んでだいぶ忸怩たる思いになって気をつけようと思ったけど、いま、論文を書くようになっても、やはり論証が弱いと思うと「逃げ」をうってしまう自分がいる。んー。。。