幕府体制

 宗尊親王は、「将軍御謀叛」と叫ばれて京に返された(←この変換が妥当な気がする)訳ですが、基本、これって後醍醐の「天皇御謀叛」と同系統の話ですわな。
 それは得宗専制に対する「謀叛」ではなく、朝廷−幕府というシステマティックな体制に対する反逆と捉えるべき。御家人の主と仰ぎ見るべき者が「将軍」ではなく「幕府」という抽象概念に変化した結果と見るべきなんじゃないかなぁ。と思ったり。
 ちなみに権威と権力が、区別されなさすぎ。ハンナ・アーレント曰、「権威は常に服従を求めるが故に、しばしば実力や暴力と混同される。しかしながら、権威は強制力の使用も排除するものである。実力が行使されるとき、権威自体は挫折したのである。権威が定義されるとすれば、それは実力とは区別した形においてである。命令される者と服従する者との間の権威の関係は、各人がそのうちで、確立された安定した地位を占めている階層秩序の正しさを承認しているという事実に依拠している」