2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧
渡辺さんから「平安期における国衙−結節点としての地方「都市」−」と『料紙辞典」のご担当箇所を拝受。ありがたし。
早旦よりキャンパスへ参る。 午前から3本開講。また午後から1本開講。午前中に打ち合わせをし、教室入れ替え。 午後は一旦、外に出て、大久保のキョー和さんにて、拓本用の画仙紙一反を購入す。来月初旬の実習に用いんが為なり。のち、キャンパスへ戻り、タ…
伝聞。順調と云々。次回の検査の時には一緒に行きたい。
夫王家之為 王家、在仏法之擁護、仏法之為仏法、任王家之帰依、又云仏云神、保護天下、 - 「紀伊国大伝法院衆徒解案」治承2年(1178)の文書の一文。 来年の大河を今年みたいにファンタジーにするつもりならともかく。王家は王家だろうて。
王子へ移動し、Sさん宅へ参る。去年と同じく諸々拝領。有り難し。 また、一献あり。 肉うまー。 帰路は教言卿記の一巻を素読。
早旦よりキャンパスに参る。今週末の連休は開講科目がMAXで4本。 今日は午前に2本、午後から1本が開講。すべて学科が異なるものの、領分として差配す。 所充をして上卿が決まってても、弁が全部一緒みたいなものか。まぁ南北朝の時みたいに上卿が悉く不参、…
天皇は正親町。54才。 岡殿は覚音女王。後柏原天皇の娘。大慈院宮とも呼ばれる。65才。 竹内殿は覚恕。57才。前年に天台座主となる。 伏見殿は邦芳親王。兄の貞康が永禄十一年に22才で亡くなったため、伏見宮家を相続。5才。
織田弾正忠公家中知行分少々可申付之間、各手日記可調之由旧冬申之間、卅余人之分明印に自万里小路被渡之処、不相届云々、仍重申之間、可相調之由有之間、予・四条・薄等之分調之、高屋右京進に渡之、如此、 山科家知行分之事 一、当国諸口内蔵寮領率分之事…
明院所へ書状遣之、如此、 名字地三ヶ郷之事、上意御返事如何候哉、霜臺明日御下向之様に承及候、然者今日中相調候様別而御馳走頼存候、尚々澤路隼人佑可申
梨門伏見殿に御座之間参、宮内卿院号折紙に申之、「主所望也」福持院云々、伏見殿弥御勝事、梨門御登山之間、一条万里小路迄送に参了、中山・頭中将等同前 伏見殿未刻御遠行云々、御年廿二歳、御早世不可説々々々、
(端裏書)「天正二」 たけのうちどのもんせき御あとめの事、この御所としてきとおほせいたされ候ハんまゝ、あひかハらすこうりんにもと申たつし、ありきたり候ことくちそういたし候へのよし、かんろし中納言両人として、せんこうほうゐんおなしくしやけ中へ…
称号之地之事に、澤路筑後入道富田へ可罷下之由申付了、畠山式部少輔入道江書状調遣之、如此、 先度祗候之刻、御馳走千萬畏入存候、就中称号之地大宅郷、同散在四宮河原野村西村等之儀、被返渡候様、別而御入魂奉頼存候外無他候、尚々委細之段、澤路入道可申…
勤務は例の如し。 複合機の設定で走廻る。また来週は停電のため、サーバ停止予定。その手順確認。 昼休みは、昨日と同じく校正作業。北野社の史料を確認。 冷泉頼定は後伏見の院政下で山門伝奏なのかな。
缶のお茶としては、良い出来。 売れずに販売中止にならないように、常飲することとしよう。
レポートの採点をして研究室へ返却。 併せて週末の開講に向けて関係各位へ最終連絡。 日曜からの開講分は未だ準備が終わらず。不便々々。
勤務は例の如し。明日、図書室の複合機の設定が行われるので、その準備。 昼休みは校正作業。
週末開講科目のN先生と打ち合わせのため、キャンパスへ移動。 使用機材の確認などを行なう。
Tさんと文庫へ参る。 Nさんと科研の作業について、また、資料集の校訂作業について打ち合わせ。 終了後、展示の『ほとけのずかん』を購入。 『諸尊図像集』と『図像抄』と『別尊雑記』がずらり。いいわぁ。 昼食は関内の志な乃にて、ひと手繰り。
室町殿日記第一 暦応元年八月 去五月廿二日北畠国司顕家卿討殺、閏七月二日新田家族過半敗亡、同新田義貞黒丸城而流箭当亡滅之条、当家之仙運入掌中、故自当三日命安部有兼而、令修太平静一之法、 十一日、尊氏卿叙正二位征夷大将軍、拜補セラル、 先此、延…
引継事項ありて某所に電話し打合せ。 午後からは某大キャンパスへ参る。週末の差配。
従兄弟亭にて理髪。その後、整体のため綱島へ参る。全部悪いと云々。 通常より長めの処置。途中、宗教と信仰心について談義。
ヤフオクで入札していた国文学の雑誌は無事落札。新刊1冊分の代金で2005年の12冊。今週中には落手出来るか。
橋口さんの『和本入門』(平凡社ライブラリー)と、笠原さんの『明治天皇』(中公新書)読了。
二月七日 佐々木近江入道常可之後家、継嗣宮内少輔綱村ト遺跡之論アリ、右ノ後家ハ常可後家ニシテ、然モ家ノ女房ナリシカルトコロニカノ女房常可ニツカヘザルサキニ図書寮ノ官人ノ妻ニシテ一男二女ヲウメリ、ソノムスメハ一人ハ監谷下野守ニツカヘ、一人ハ中…
十一月十四日 勧修寺内大臣殿於里亭被講令義解、依之今日、将軍家為御懇望之条有、御入輿、高武蔵守師直、細川刑部少輔頼兼等候、御共云々、及夜有百服之御茶会、亦朗詠三奏、 池水・気・春三月 等也、梅王・室竜両女参而舞今様、依之御酒宴及夜闌云々、
七月十五日 将軍家清水寺御参詣、成就院弘通僧都被儲酒茶、晴天之条、可被侍於今夜月之旨有□心遣而自申後俄然被思召立被、招九条殿・転法輪殿・小倉殿等畢、入夜子下刻御帰輿也
四月三日 於直義朝臣之北山亭〈号慕京亭〉被献茗茶百服之饗、亦有猿楽之宴、近衛道嗣公・九条経教公・転法輪実忠卿・今出川実尹卿・高辻少納言等被相加之、高武蔵守師直者先営輿参慕京亭、諸賓等及五更御帰路云々、
国書総目録で確認すると、石堂重益の記した記録と、楢村長教編のものがあるようだ。 楢村編の方は刊本があり、今谷さんの「戦国期軍記文学の虚構と事実−『室町殿日記』の信憑性をめぐって−」(『文学』Vol.53(10)岩波書店 1985年)もある。石堂の方は管見で…
DBのreleaseや改修、Thin Clientの障害など対応。
肩がバキバキ。結構、疲労のピーク。