山田孝雄校訂『倭漢朗詠集』岩波文庫「序説」

余はじめ漫然としてただ従来の諸家の説に従ひ、ただ意通ずれば足れりと思ひたりしが、後に、本書のよみ方の慎重に研究せざるを得ざるを感ずるに至りぬ。先づ、かの戀の部の詩句にある「行宮」を「アングウ」とよむことの時代錯誤(行をアンとよむは主として禅宗渡来以後と思はる。)なるに心づき、これを如何によむを正しとするかを研究して、徳川時代の板本以外には「アングウ」とよめるものなきを確め(流布の平家物語にも「行宮」を「アングウ」とよみたれど、これも誤なることは慶長以前の古写本には「カウキウ」「カウクウ」の仮名をつけたるにて明かなり。本文庫本の平家を見よ。)これによりて慶長以後の板本のよみ方の杜撰なるを認め、いかで正しくこれをよまばやと思ひつゝ、研究に従事せる間に、祝の詩句なる「嘉辰令月」の句は実の謠物としてはいづれの本も必ず音読せるに至りて更にこれらのよみ方に一定の法ありて憶測すべからざるを知るに至れり。かくの如き動機と経過とによりてこの朗詠の訓を加ふるに至りしなり。
(中略)
かくの如くして、この本にとれる訓は、朗詠集のよみ方としては大半は鎌倉時代その他は下りても室町時代までのよみ方によれるものなることを認めうべし。しかもなほ不十分なれば、なほ新なる材料を得るに従ひて、訂正を怠らざるべし。

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キュンとくるな。こういう序説って。