雑感

人は情報量が多くなればなるほど処理できずに表層的な理解に止まる。人の情報処理能力は訓練によって伸びしろがあるものの、限度がある。
人文学は、一つのテキストを徹底的に読み込み、深読みすることが思考訓練として求められる。
インターネットの普及によって、単純に知性が劣化したのではなく、情報多寡のなか、どのように情報を捌くかが、変化しているといえよう。
表層的な、額面通りな情報を速く処理することが求められ、一歩止まって思考すると置いていかれる。大学では、その一歩止まって思考する訓練をすることによって、熟考する能力を養う。ライトな学びにはライトな処理能力しか養われない。
この沈思黙考するのは何かしら、わかりやすい答えがあるわけではなく、経験してみないと培われない。啓蒙にある、蒙を啓くとは、自分自身にしか出来ないものなんだね。