『藤沢市史研究』11号(1978年)

丸山久子「民俗調査をするに当って」の抄出。

 記録文書を資料とし、これを使って人々の生き方あり方を追求し解明して行く方法をとる歴史学と、民間伝承をおもな資料としてこれを現時点で採集し綜合比較して過去の生活を考えようとする民俗学とでは、究極の目的は同じでもその方法に幾つかの違いがある。
 歴史学では重要視され、求められている「時」の問題は、民俗学でさほど重要視されていない。実際問題として伝統生活の中にある事象について−その「時」を断定することは、根本的にむりな場合が多い。これを分かりやすい実例で説明するのに、柳田国男先生は燈火の歴史をよく使われた。大略の所を祖述してみると、「ひでと呼ぶ松の根を焚いて照明した時代から植物の油をさまざまな形式で用いるようになり、やがて石油が入り、電気が入った。この変遷の形は、ある時に、日本全域が石油ランプを使うようになったのでは決してない。まだ第二次世界大戦の頃でさえ電燈のつかない地方があって、文化はある一時期を画していっせいに生活を変えて行くものではなく、だんだんと適応した形で生活に入りこみ変遷させて行くものである」ということで、燈火の場合でも、ある土地のある家という特定の場所であれば、確実な時点がつかめるかもしれないが、対象地域が大きければ大きいほど、個々のずれは大きく、従って決定的な時点を断定することは、実際の問題として不可能である。衣服にしても、食物にしてもみな同様のことが云えるわけである。