宝治元年の太政大臣

宝治合戦の際、幕府から連絡が届いた冷泉太政大臣とは誰か。
当時の太政大臣の該当者としては、現職では久我通光。前官では近衛兼経と西園寺実氏がいる。
通光は後久我太政大臣と呼ばれる人物。後嵯峨の大叔父として権勢をふるい、また幕府との関係も深かった。晩年は後妻に所領を譲り、鎌倉後期の中院流のゴタゴタを起こした張本人。
近衛兼経は岡屋殿と呼ばれる人。摂関家の嫡流近衛家。合戦時は後深草の摂政。
西園寺実氏は常磐井殿と呼ばれる人。前年に九条道家が失脚して以降は関東申次。冷泉富小路に邸宅を持ち、この邸宅は後々、持明院統の御所となる。前年の史料にも、実氏が冷泉殿にいる史料が散見されることからも、また、関東申次の役職から考えても、冷泉太政大臣は西園寺実氏に比定するのが妥当だろう。