南蛮誓詞の雛形

吉利支丹ころひ申しゆらめんとの事、
一、我々は何年より何年まてきりしたんにて御座候へ共、何年の御法度よりころひ申候事うたかひ無之候、今程なにの宗体に御座候、
一、吉利支丹宗旨に成、此前方ねかひ申候事今に後悔に御座候間、後々末代きりしたんに立帰る事仕間敷候、同妻子けんそく他人へもすすめ仕間敷候、自然何方より伴天連参こんひさんのすゝめなす共、此書物判をいたし申上は、其儀かつて以妄念にもおこし取あつかうこと同心いたすましく候、もとのきりしたんに立帰るにをいては、しゆらめんとの起請文以て是をてつする者也、
一、上には天公てうす、さんたまりやをはしめたてまつり、もろ々々のあんしよの蒙御罰、死てはいんへる野と云於獄所、諸天狗の手に渡り、永々五寒三熱のくるしみを請、重而又現世にては、追付らさるになり、人に白癩黒癩とよはへる者也、仍おそろしきしゆらめんと如件、
 寛永十弐年
  ころひ 誰 判
      妻子判

    • -

寛永12年(1635)に京都所司代板倉重宗が書かせた誓詞の案文。
キリシタンから改宗するものにキリシタンの神に誓わせる矛盾。
面白い。