『幕末百話』67血判起誓文のお話(岩波文庫 青469-1)

一同血判
 血判のお話をしよう。昔は義を重んじて他言を忌む。アレが喧しく申すと徳義で、徳義を重んずるためその誓いとして、誓文を書き、連名の上、一同血判をした。慶長年間乃至戦国の時代には、印の持合せがなく、血を絞って捺したに違いない。その余風が後世に伝わり血判という一つの判が押されることとなったのでふろう。イヤこれは憶測なんだ(嘘かも知れぬよ)。
左の薬指
 で、ソノ血判と申すは口でいい、字で書くと恐しいもののようだが、以前は恐しいものかも知れんが、拙老共の捺る頃には、至って詰らんもので、左の薬指の爪の下の所−ソコの肉を突いて血を出し、指尖の腹を拇指で推しながら、染み出る血を捺したものだ。剣術の入門などにも他門に入らずと誓うのである。皆痛いから、木綿糸で、堅く縛って置いてから突くなんかんと、真にハヤ徳川の末世は、腹を切るどころでない、血判も痛いという訳であった。血の出た跡へ墨を入れて、入墨の痕にしたりする悪戯もあったりして重々しいことでなくなってしまった。
即ち文例
 色々の文例が出たから、拙老も一番起請文の例を御覧に入れよう。昔はどうしてどうして十襲したものだ。
  起請文事
 一高島流諸大砲の事
 一銃陣之事
 一御流儀に差加一流より立申間敷事
 一御秘事一切他派之秘事より取替仕間舗事
 一御流法永相守実用専一仕事
 一御秘事一切親子兄弟たりとも他見他言仕間舗事
  右の条々可相守若於相背日本国中大小之神祇冥罰可被蒙者也仍起請文如件
 文久元辛酉年三月二十七日     多川光太郎
                    正定(かき判)
 同年同月同日           真野覚之丞
                    正固(かき判)
                    以下略之
義の一字
 かき判の所へ薬指を突いて、血判を捺すが、ホンの儀式でして、またなかには面白半分にやるものもありました。血判したから命投出すというほどの決心もありませんでした。しかしながら一概にはそうとも申されず、他言乃至他流を習ったため面責されて、宅へ帰り腹を切った青年もあったのだ。
(後略)