神道史

井上さんの新書を読了。
タイトルにある「虚像」とは、最後の章にある柳田の「神道」論*1であり、本書の目的はその批判なのね。これは最終的に岡田批判へつながると。
これまでの井上さんのご研究の集積として、神道史を古代から現代まで描きつつ、「虚像」を否定するストーリーは面白かった。
最後の章のまとめで、以下のようにある。

性格の異なる二系統の「神道」
 以上のように、中国から伝来した「神道」の用語は、日本独自の意味を担う形で成立する中世以後、常に異質な二つの意味で用いられ、その内容も時代とともに大きく変化してきた。あらためてこれを整理すれば次のようになろう。
[中世]1神社祭神としての天皇神話上の神々とそれについての思想的解釈。1カミ祭りのための儀礼の体系(神祇道)。1を基本とする。
[近世]1中世の1と2を結合した神社祭祀の教義と儀礼体系(神祇道=吉田神道)。2天皇神話の思想的解釈に基づく国家統治の理念=「神の道」。近世を通じて2が優勢となるとともに、1もその中に組み込まれていった。
[近代]1皇祖神アマテラスと天皇による国家統治の理念とそのための儀礼体系=「国歌の宗祀」、2神社祭祀や神祇信仰そのもの、及び1の下での教化集団。1を基本とする。

これが実態と云々。
以下、的外れな感想。
権門体制に於ける、寺社家は寺家の顕密体制だけだったけど、社家の廿二社・一宮体制がそれにあたるということなんでしょう。
ただ、井上さんの研究されていた廿二社体制は、基本的には神祇政策であって、中世の「神道」ではないような。
また、廿二社体制は、具体的な神社史にリンクするのか疑問。例えば伊勢の祭主・石清水の検校・松尾の社務などの各社のトップが同列にして論じられないように、社領の影響範囲や朝廷内でもクラスも様々。また「神事優先」の朝廷公事における神道の有り方もわからん。
個人的には、去年から今年に掛けてずっと松尾の史料を捲っていたけど、最終的には個別神社史をボトムアップ方式で集積し、体系を考えないと、全体像はわからないのではないかしら、とぞ思う。

*1:「神道は、太古の昔から現在にいたるまで連綿と続く、自然発生的な日本固有の民族的宗教である」