通勤読書

 新田さんの『太平記の時代』を再読了。講談社の「日本の歴史」シリーズが、毎月文庫化されているので通勤にはピッタリ。さすがに鮨詰め状態で史料を読むのはキツイし。
 下記はP96からの引用。「官司や官人」ってのを「官公庁や官僚」に書き換えても、通用する話ですなぁ。

 官司や官人たちにとって、日常的な実践の連続性を切断され、抽象的な原理原則によって作法を組み立て直すことを求められたときに、その要求に的確に応えることは、容易なことではなかった。なにしろ、現場現場において積み上げられてきた作法は、実践の反復の中で調整されてきたのである。提示された抽象的な原則が、具体的にはどのような作法の変更をもたらすのか、ある作法の変更が、他の現場の作法にどのように波及し、それにどのように対応すれば全体の機能の整合性を保ちうるかが、判らない。いわば、プログラムを適切に書き換えるためのプログラムが備わっていないのであるから、官司の運営方式の変更は、少なくとも短絡的には、整合性を欠き見通しを欠いた、当事者にとってきわめて困難な状況をもたらすことになったはずである。

 また、知行に関する申請者が綸旨よりも太政官符を選好したことは、後醍醐の政権構想の敗北と森さんは仰っている訳ですが、これって頼朝が政所下文にしようとして、袖判が欲しいと御家人たちに言われたことと、一緒なような気が。
 それでも、頼朝の時だと「政権構想の敗北」とまでは言われない。