通勤読書

 佐藤さんの『ヒューマニティーズ 歴史学』(岩波書店)を読了。

 大学というシステムは、社会学者ピエール・ブルデュー(1930-2002年)が指摘するように、文化資本の格差を前提としている。その大学社会で「私は大衆だ」と名乗ることは、「政治的な正しさ」ゆえに安全であり、居心地のよいものだ。だが、そうした擬態の安楽さにひたったままで、大衆文化、まして大衆の感性を正しく分析できるだろうか。私が当時批判していたのは、大衆運動の歴史が知識人の理論史にすり替えられている状況だった。しかし、知識人予備軍である大学院生が自ら大衆に感情移入して、大衆運動の歴史を叙述することも、それはそれでアクロバティックではないか。そうした思いから、自らの研究テーマを大衆運動史ではなく大衆宣伝史と主張するようになった。