『中世の借金事情』

本文47頁から。室町期荘園制の概説。

それまで知行国主や領家の権利と地頭など在地武士の権限は、ひとつの土地の上で重層的に存在していたが、鎌倉末期〜南北朝期には、領家と地頭の権利を土地で分割する下地中分や下地の半済という方法がとられた。領家方と地頭方という所領区分が登場するようになった。南北朝内乱の中で知行国主の国衙領と領家の荘園とがひとつの諸国本所領と特別保護の禁裏御領・殿下渡領などに再編成され、地頭らの権利は武家領に整理された。諸国本所領は天皇・院と室町殿との合議によって公家や寺社の本所に安堵され、天皇や室町殿の突鼻(怒り)をうけるとすぐ没収されてしまう恩領地(公領)の性格が強くなった。禁裏御料所と殿下渡領など天皇家と摂関家の荘園や寺社本所領は、諸国本所領とは別に特別保護を受ける荘園として保障され、将軍家御料所とともに幕府の奉行人奉書がよく発給された。諸国本所領や禁裏御領・将軍家御料所の年貢は、一定額に固定化され代官請負制にされた。そこでは、秋に納入される年貢予定額を担保にして、本所が春に借米や借銭として年貢米を先取りしてしまう方法が一般化した。これを「来納」といった(高橋敏子「中世の荘園と村落」近藤成一編『モンゴルの来襲』吉川弘文館、二〇〇三)。現地に不作や未進がどのくらいあろうと、一定額の年貢だけは、代官との請負契約が結ばれた春の時点で本所に前納させる。秋の収穫や百姓からの収納状態はすべて請負人である代官の責任に転嫁してしまう。本所は極端な不作や風水害や旱魃の被害を調査する検注権と荘園での紛争処理の裁判権に相当する検断権だけをもち、定額の年貢分だけを春先に前納させて、家財財政を運営する方法をあみだした。これが再編された室町期荘園制の特徴である。(拙論「室町期東国本所領荘園の成立過程」『国立歴史民俗博物館研究報告』一〇四、二〇〇三。同「東国荘園年貢の京上システムと国家的保障体制」『国立歴史民俗博物館研究報告』一〇八、二〇〇三)。

本文175頁から。利息総額制限法の概説。

古代中世の利息総額制限法
中世社会では、治承二年(一一七八)七月十八日公家新制によって利子が増殖するのは四八〇日間、しかも出挙利は借金した本銭の二倍以上には何年たっても増加しないという利倍法が制定されていた。嘉禄元年(一二二五)十月二十九日の公家新制と嘉禄二年正月二十六日武家新制によって、米出挙の利倍法とともに挙銭の半倍法が制定された。これによって、古代法である延暦十六年四月二十日官符と弘仁十年五月二日格が復活することになった。古代と中世では利息制限法は、何年借りていても借金の利息は四八〇日間限り、本銭の倍額以上には増殖しないという総量規制であったことがわかる。銭の借金の場合には、利息は一年限りで元本の半額以上には増殖しない。それ以外の利子は非法の利として裁判では無効となった。