『民経記』天福元年二月十一日条

 天晴、中納言殿令大殿給、去夜無御参、文書以下御物等成灰燼云々、両殿御坐東殿云々、今日予披文庫、文書所調置也、家記以下所致沙汰也、今日為消徒然、綴一篇了、

 文庫のことを調べようとめくっていたら、民経記って、傾城のことが多く裏書に書かれているのね。