看聞日記応永二十四年閏五月五日条

 晴、即成院預置御移徙御記一合、後深草院御記<拾・上下、>召寄撰見、文永三年十一月御移徙記一帖<後深草院御記宸筆>、撰出了、則令書写、<予書写之>、(後略)

 とあって、身近な寺社に、文書櫃を預けているみたい。
 これは南北朝期からなのだろうか。

 あと、『看聞日記』同年同月十六日条の頭書には

 後聞、非茶順事、寿蔵主別而張行云々、大光明寺へ御記以下櫃十二合預遣了、殊大事物也、

 とあるからこの頃には、普通に行なわれていたんだろうなぁ。
 しかし同年九月廿八日条には

 晴、即成院ニ行、被預置文書櫃為校合也、本目六ニ有参差事、如何、以前百六十一合也、而百五十九合有之、二合不見、不審也、

 結局、寺に預けていても、万全ではないのね。とほほ。