武士の正体

 幕府=武家なのか、北条=武家なのか。先日書いた続きだけど、要は鎌倉幕府御家人制の崩壊は、主従制の多様化と抽象化にあると思う。「将軍‐御家人」だけではない傍輩から逸脱する「将軍‐祗候廷臣」の主従関係は、兼参を容認する御内人をも幕府(というより北条以外の御家人)に許容させるものだったんだろう。修論に書いたけど。
 そして御家人が仕えるべきものを、「将軍」ではなく「幕府」という抽象概念へ、北条氏が転化させたことによって、北条は政権を担う首長となったと考えるべきだろう。後醍醐の倒幕運動も、御家人にとっては幕府を倒すのではなく、北条を倒すということに転化され活発化したんだろうし。

 などなどと考えていくと最終的には、武士の再考が必要ではないかと思う。