2008-12-01から1ヶ月間の記事一覧
(前略)今日後伏見院年忌御作善、於三福寺毎年被修之、三福寺之住寺被尋予云、施主ハ伏見殿也、入道親王にて御坐ある間、禅定法親王と可奉書歟之由被問之、又尊儀をは後伏見院禅定法王ト可奉書歟云々、予返答云、施主御名字事、禅定大王ト可被載歟、親王ヲ…
伏見御領事、付大光明寺御塔頭之儀、為将来廻思慮之旨候、不混惣御領事、仙洞(崇光)御余流何様にも各別相続御管領可宜之由存候、以此趣可被申入仙洞也、敬白、 貞治二年四月八日 光ー(智) 勧修寺一位(経顕)殿 (朱書)「此一通回録以前、以正本予染筆…
(前略)抑禁裏詩冊事被仰下之間進之〈啓蒙対初心詩学抄和漢一座〉、誡太子書一帖〈花園院御作、光厳院春宮之時被遊進、御学問事也〉、此両三帖進之、(後略)
晴、未刻地震〈大動〉、帝釈動也、今日院御葬送、泉涌寺御幸也、(中略) 御追号事為遺勅定置、後小松院云々、(後略)
晴、惣得庵参、一献持参、有盃酌、抑山下〈室町殿近習者当所ニ在住〉、鎧・笠符銘以承泉所望申、不可叶之由雖令申、頻承泉申之間書之、笠符三〈練貫〉、伊勢・八幡已下諸神書之遣、殊畏申、後聞、自公方鎧下賜云々、
晴、聞、去廿日北野社僧七八人児一両人相伴、下京辺勧請くせ舞見物、面々酔気之間、北山鹿苑寺未見之由申、帰路彼寺へ罷向、寺門ニ僧一人小便ス、児見之咲之間僧尤(抛カ)之、仍申合之間忽喧嘩及刃傷、北野法師二人死、僧一人死、自鹿苑寺北野ヘ欲押寄、室…
広橋家と柳原家の記録集積能力には脱帽。 まさに宝の山ですなぁ。
如例。海外史料目録は、横文字しかないので何が何だか。
参加者は七名くらい?風邪っぴきのため、途中参加。 大竹さんとご挨拶。
崇徳院御影堂領讃岐国北山本新庄、但馬国片野庄、遠江国勝田庄、越後国大槻庄、能登国大屋庄、粟田宮領筑前国原田、高橋宮門跡領近江国奥島庄、真如堂領柳谷督三品遺領不可有相違之由、院宣所候也、以此旨可令洩啓 上乗院宮給、仍執達如件、 建武三年十二月…
恩賞方番文 一番〈子辰申〉 東海道、東山道 吉田一位〈定房卿〉 経季朝臣〈頭宮内卿〉 良定朝臣〈中院中将〉 兼光〈土佐守〉 親光〈太田判官〉 二番〈丑巳酉〉 北陸道 民部卿〈光経卿〉 藤長〈蔵人右少弁〉 職政〈兵衛大夫判官〉 秀清〈佐渡大夫判官〉 三番…
如例。はじめてきちんと大日本近世史料や復古記を閲覧。 前回の研究集会で面白いことを教えてもらえたので、そこそこ興味深く。 63CAで写真を撮ってみたけど、銀杏並木の色も綺麗に撮れているかと。
歴史研究者たらんと欲すると、方法論の先にあるものを求めたくなるのは道理な訳で。 どうも方法論の提示というのは、「それだけでいいの?」と、ついつい思ってしまったりします。 パッケージを売る感覚に陥りそうで。 とはいえ、それが一つの学問として成立…
母の。言祝ぎ申す。 それと祖父の月忌が近いのでお茶も送ってみたりして。
鎌倉末の本末相論に関して。ある思惑を持って調べごと。 『真福寺善本叢刊10 東大寺本末相論史料』と永村真さんの「「真言宗」と東大寺―鎌倉後期の本末相論を通して」(『中世寺院史の研究』下)。 顕密兼宗を売りにする東大寺にとって、寺院のヒエラルキー…
如例。